賀川豊彦記念松沢資料館のご案内

施設の概要

公益財団法人賀川事業団雲柱社の運営する賀川豊彦記念松沢資料館へようこそ。
当館は、20世紀を駆け抜けた、世界的にも稀有な人物、賀川豊彦の思想と実践とを後世に伝えるため、賀川豊彦に関係する資料の蒐集、公開、研究活動を続けています。 現在、資料館の主な活動は、常設展示(原資料とパネルによる)、特別展示(不定期)、レファレンス、資料蒐集、出版(「雲の柱」等の刊行)、および団体向けセミナーです。
また、賛助会員を常時募っております。会員向けのサービスとして、機関誌「雲の柱」(年一回)、「資料館ニュース」(年二回)の発送、資料館主催によるイベントの案内などをお知らせします。
また展示見学やレファレンスのフリーパスも提供しています。貴重な資料を維持するためにも、皆さまのご加入を心よりお待ち申し上げております。詳しくは“賛助会について”をご覧ください。

館長挨拶

賀川豊彦記念松沢資料館に来ていただき、心より歓迎いたします。
賀川豊彦は5回ノーベル賞の候補になった、日本を代表する人物です。21歳で神戸の貧民街に住み込み、キリスト教の牧師として福音宣教と人々の生活の援助に努力。結婚後26歳でプリンストン大学に留学し、社会運動についても学び、帰国後、労働運動、農民組合運動、協同組合運動などの社会的な運動を指導しました。32歳の時に著した自伝的小説『死線を越えて』は大ベストセラーになりました。「イエスの友会」を結成し、「百万人救霊」を目標とする神の国運動を日本全国に展開しました。世界平和のための運動にも、従事しました。キリストの愛に生かされて隣人愛の実践に生涯を捧げた賀川豊彦の精神と働きを、皆様が共有してくださることを心より願っております。
「一粒の麦は、死ねば、多くの実を結ぶ」
ヨハネ福音書12章24節

公益財団法人賀川事業団雲柱社
賀川豊彦記念松沢資料館 館長 黒川 知文

賀川豊彦の関係事業展開図、および初期事業

賀川豊彦は若き日、神戸のスラムに身を投じて貧しい人々の救済に専念しました。壮年時代には、労働組合運動、農民運動、協同組合運動、無産政党樹立運動に献身し、関東大震災が発生するや、東京にて、罹災者救済やセツルメント事業に力を尽くしました。
また生涯を通じて日本と世界にキリスト教の伝道を行い、戦後は伝道と著作のかたわら世界連邦運動を提唱、指導しました。これらの諸活動を継続する間に宗教、哲学、経済、社会、文明批評、随筆、小説等の作品を多数発表しました。それらは、彼の死後「賀川豊彦全集」全24巻として刊行されています。
彼の事業は関西、関東を始め全国に亘り数多くの同士を組織して行なわれ、その運動は広範な規模において展開されました。 これらの事業活動および著作に関する膨大な資料文献、原稿等は、日本近代史の貴重な資料です。
それらを蒐集、整理保存して一般に公開、調査研究に資することを目的とし、多くの人々や団体からの寄付金により、1982年10月に開館しました。